年末、母親に
「年越しの日にあんたはいつもおらんな!」と家を出る直前に言われた。
思い返せば最後に年越しの瞬間を家族と迎えたのは小学校4年の頃。
私は小学校5年から年越しを家で過ごせない呪いにかかっている。
小学校4年(9歳)から現在(29歳)の20年間、20回の年越しを、家族じゃない誰か、もしくはひとりで、自宅じゃないどこかで過ごしてきた。
サンタクロースは本当にいる!と信じていたのが幼稚園までなら、年越しの瞬間はジャンプして地球におらんことにしよ!を信じていたのは小学校5年の年越し10秒前。
小学校4年の家族で過ごした最後の年越しで、私は「3.2.1.JUMP!ハッピーニューイヤー!」と家族の前でドヤ顔で飛んでみせた。
小学校5年の頃に始めたバスケットボールで、そのメンバーと共に年越し初詣に向かった。
まもなくカウントダウンが始まる。
その直前に、私は「ジャンプする?地球におらんとく?」とメンバーに言ったら、「それまだやってるん?飛んでも地球やし!」と何人かに言われて、心がキュッと締め付けられた。
家が好きでインドア派の私やけれど、年越しのときに家の中にいたら、時代や周りの友達についていけなくなる!!
ていうかなんで私の家族はもうジャンプする年じゃないよ!ジャンプしてもここ地球よ!って教えてくれへんかったんや。
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今思えばそんなたいしたことじゃないし、この一年後にTVではガキ使の笑ってはいけないがスタートするから、家でTVを見ながら年越しが恋しくなる時期も後々やってきてるのだが。
それで私はこの時から、年越しを家で過ごさないという呪いを自分にかけた。
ピュアハートの小学校時代には、ちょっとしたことがきっかけで周りと温度差が生まれる。
そんなこともあり、寮生活や家出やらをしていた私は、大人になっても年越しは外でする呪いがかかったままである。
2019年年末の家を出る直前
母「年越しの日にあんたはいつもおらんな!」
私「せやなぁ。ここ最近は同じところに初詣に行ってるから、お守り返しにいかなあかんねん。」
母「え、そんなことしてるん?安心やわ。」
私「せやろ。ふらふらしてるわけちゃうねん。」
母「5円持ってる?」
私「え、あぁ、ないわ。」
母「あげるわ。」
私は家を出た。
呪いにはかかったままだけれど、その呪いに相応しい年越しの仕方を見つけつつある。
親には心配ばかりではなく、少しでも安心を送ってあげないといけない。
嘘も貫き通せば真実になると言うけれど、呪いも貫き通せば生き方になり、何事も継続は力なりやな。
そうそう。
最終的に書きたかったことは
継続は力なり
という言葉。
今年もよろしくお願いします。
